日本で結核が不治の病と認識されていた1940年代、第一三共の前身のひとつである第一製薬株式会社(以下、第一製薬)は1947年に日本初の結核性腫瘍の治療薬を発売しました。それ以降も結核治療薬の開発を次々と進め、1954年には「ネオイスコチン」を発売。1951年まで日本人の死因のトップだった結核の死亡率低下の一翼を担いました。
結核性膿瘍治療薬「ツベルフラビン」から「イスコチン」の誕生まで
戦後、日本では、欧米に比べて結核の治療薬の開発が遅れていました。そうした中、第一製薬は1947年に結核性膿瘍の唯一の治療薬「ツベルフラビン」を、1950年にはパラアミノサリチル酸(PAS)の合成法を独自に開発した結核化学療法剤「パスナール」を発売しました。
1952年、アメリカで試製された新たな結核化学療法剤「イソニコチン酸ヒドラジド(INAH)」が結核の特効薬として大きな臨床効果を示したと報じられると、第一製薬でも直ちに研究に着手。そのわずか10日後には数グラムの合成に成功し、迅速な開発力を示しました。臨床試験の結果、INAHは、既に市場にはあるものの、高価な上、入手困難な治療薬であるストレプトマイシン(SM)や、大量に服用しなければならないパラアミノサリチル酸に比べて副作用が少なく、かつ高い治療効果をもつことが明らかになりました。製造承認を受けた同業他社は45社に及びましたが、第一製薬はいち早く「イスコチン」の試製品を提供し、わずか1ヶ月後には製造承認を申請するほどのスピードで開発を進めました。品質と開発スピードにおいて優位性を示した「イスコチン」は、画期的な結核化学療法剤として地盤を築きました。
さらに進化した「ネオイスコチン」の登場

ネオイスコチン
1954年、結核新薬として満を持して送り出したのが、第一製薬オリジナル「ネオイスコチン」。本剤は、イソニコチン酸ヒドラジドの誘導体である「イソニコチン酸ヒドラジドメタンスルホン酸ナトリウム(IHMS)」を主成分とする治療薬です。前述の「イスコチン」に比べて毒性が約6分の1から7分の1にまで低減されており、大量投与が可能となったことで、より優れた治療効果を発揮しました。その特性から、長期投与が求められる結核治療の現場で高く評価され、重症患者の治療はもちろん、発病予防や再発防止にも広く用いられるようになりました。
結核が不治の病から脱却。死亡率のトップから5位へ
ネオイスコチンが売り出された1954年は、結核治療の大きな転換期でした。同年7月には結核予防法が大幅に改正され、社会保険に関係する結核治療指針も見直されました。これにより、イスコチンやネオイスコチンが用いられる「INH(イスコチン)・PAS療法」が、従来主流だった「SM・PAS療法」と同等に位置づけられ、ヒドラジド誘導体の使用も正式に認められたのです。
こうした状況の中、同年に厚生省が実施した「結核実態調査」によって、患者総数528万人のうち、治療を要する患者が従来の推定値(150万人)をはるかに上回る292万人にのぼることが判明しました。これを受け、全国的な結核撲滅への取り組みが本格化します。翌年には「INH・PAS療法」が「SM・PAS療法」に取って代わり、ネオイスコチンの採用も急速に進みました。その評価はさらに高まり、重症患者の治療だけでなく、結核治療後のアフターケアやツベルクリン反応陽性者(=感染の可能性が高い要注意者)の発病予防にも用いられるようになります。
戦後、結核化学療法剤が相次いで実用化されたことで、結核治療は飛躍的な進歩を遂げました。特に死亡率の低下は顕著で、1943年には人口10万人中235人余りだった死亡率が、PASとSMが登場した1950年には146人に減少。さらに、第一製薬のネオイスコチンが普及し始めた1955年には52人まで低下し、結核死亡率ゼロの達成も現実的な水準となりました。この年、原因別死亡率のトップだった結核は、第5位へと後退しました。
こうして「ネオイスコチン」は、第一製薬の主要製品の一つとなったのです。
治療から予防まで。活用の場が広がるネオイスコチン
結核化学療法剤の普及によって、治療に明るい見通しが立った一方、潜在的な患者は依然として大きく減少していないことが、新たな課題として浮かび上がりました。1956年から翌年にかけては、早期発見・早期治療をより一層徹底すること、ツベルクリン反応陽性者の発病予防をすること、治癒後も経過観察が必要な患者の再発防止などを推進する方針が、中心に据えられました。
その頃、企業も結核対策に本格的に取り組み始め、職場の定期健康診断や予防接種などの対策が広がっていきます。こうした流れの中で「ネオイスコチン」は発病予防剤・再発防止剤としての有用性が評価され、積極的に使用されるようになりました。1958年4月、厚生省は日本医学会の答申を受け、結核治療指針および結核医療基準の改正を告示。その改正のポイントは「ネオイスコチン」などの使用量増加、使用薬剤の範囲拡大、薬物療法の種類の増加、使用期間の延長などでした。これにより「ネオイスコチン」の適応範囲はさらに広がり、化学療法の普及に伴って外科療法も進歩し、手術の安全率は99%に達するまでになったのです。
結核の撲滅に熱意をもって取り組み、新薬を絶えず送り出してきた第一製薬。こうした活動の積み重ねが、結核治療の大きな進歩を支え、患者数や死亡率の減少に貢献することにつながったのです。