夏目漱石『吾輩は猫である』にも登場。胃腸薬「タカヂアスターゼ」誕生のストーリー

今も脈々と受け継がれるDNA。三共株式会社初代社長高峰譲吉のイノベーションへの熱い想い

2022年08月24日
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今から100年以上前に発表された小説『吾輩は猫である』に登場する胃腸薬「タカヂアスターゼ」。作品の中で「彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活溌な徴候をあらわしている。その癖に大飯を食う。大飯を食った後でタカジヤスターゼを飲む。」と書かれています。彼、苦沙弥先生のモデルは夏目漱石自身であり、苦沙弥先生と同様、頻繁に服用していたと言われています。そのタカヂアスターゼは、現代の「第一三共胃腸薬」にも使われている消化酵素剤。発明したのは、第一三共の前身のひとつである三共株式会社で初代社長を務めた、高峰譲吉です。

農業や工業分野で活躍した高峰譲吉

高峰譲吉は、1854年、現在の富山県高岡市で、蘭方医の父と実家が酒造業を営む母の間に生まれました。父の影響で医者を志し、長崎の学塾・致遠館で西洋の文化に触れつつ学び、その中で化学に興味を抱いて東京の工部大学校(東京大学工学部の前身)に進学します。大学校を首席で卒業すると、政府からの派遣でイギリス・スコットランドへ3年間留学。帰国後28歳で農商務省の幹部となり、産業革命成熟期のイギリスで学んだことを日本の農業・工業に活かせるよう奔走しました。

その後、人造肥料の会社を起こすと、35歳で米麹をウイスキー醸造に使う研究に成功します。米麹のウイスキー造りは、それまで主流だったモルト(麦芽)での製造に比べ、低コスト・短時間で発酵を進められる画期的なものでした。アメリカの特許を取得すると、2年後の1891年から、イリノイ州のピオリアに移ってその研究開発をする会社を始めます。

 

療養中も研究心をもち続け、タカヂアスターゼ発明へ

ところが、米麹がウイスキー生産に使われるようになると、ウイスキーの原料の一つであるモルトの製造者から脅迫状が届くほどの猛烈な反発にあいました。そして、会社設立からわずか2年後に、会社の新施設を不審火の火事で失くしてしまいました。
心労が重なったためか、高峰は肝臓疾患にかかり、重態に陥ります。それでも、妻・キャロラインの決断で160Kmほど離れたシカゴの大きな病院に移り、治療を受けることでなんとか一命をとりとめました。

そんな状況でも、高峰が研究意欲を失うことはありませんでした。療養中に、「麹菌の酵素は人の胃袋でもはたらき、でんぷんの消化の助けになるのではないか」と思いついたことが、タカヂアスターゼ発明のきっかけになるのです。

世界で使われるように。そして、現代にも脈々と。

回復した高峰は、その薬のサンプルを様々な製薬会社に提供しました。その中で、当時から世界中に販売網をもっていた先進的な会社、パーク・デイヴィス社(現ファイザー)が、商品化に名乗りを上げました。そして、1895年に胃腸薬「タカヂアスターゼ」としてアメリカで発売されると、効果の高さと扱いやすさが評判になり、たちまち世界中で使われるようになりました。

タカヂアスターゼは医療用医薬品としてはもう販売されていませんが、その成分は、今も「新タカヂア錠」「第一三共胃腸薬」など、薬局・ドラッグストアなどで購入できるOTC医薬品に使用されています。

タカヂアスターゼが医薬品として発売されてから120余年。高峰譲吉らのイノベーションへの熱い想いは、今も脈々と第一三共の研究者たちに受け継がれています。
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