竣工当時の丸ビル内にあった喫茶店「ソーダファウンテン」を併設した「丸之内三共薬局」と現在の丸ビル
1923年竣工当時の丸ビル(提供:三菱地所)
東京駅の目の前に建つ「丸の内ビルディング 」(通称丸ビル)。2002年に建て替えられて高層化する前の建物「丸の内ビルヂング」は、1923年竣工当時、東洋最大の容積を誇った西洋建築のビルでした。実はそこに、第一三共の前身のひとつ「三共株式会社」の薬局、丸之内三共薬局があり、店内には現在でいう喫茶店・カフェにあたる「ソーダファウンテン」を併設していました。
本場アメリカから取り入れたバックバーのあるカウンター
関東大震災の半年前の1923(大正12)年3月、三共は、東京駅前に完成したばかりの丸の内ビルヂングの一角に丸之内三共薬局を開店し、店内にはソーダファウンテンを併設しました。
三共はソーダファウンテンを兼営する米国の薬局を現地視察し、本格的な純米国式のソーダファウンテンを導入しました。長年サンフランシスコのソーダファウンテンに勤めていたスタッフを採用し、またカウンターの背後には米国に注文して取り寄せたバックバーも備えていました。
ソーダファウンテンでサンデーやソーダ、コーヒーに興じる客
メニューは、華やかなサンデーをはじめとした、当時では目新しいものばかりでした。特にコーヒーは、横浜の木村コーヒー(現KEY COFFEE)からから仕入れた三共オリジナルブレンドで、その独特の香りと味は好評を博します。また、当時コーヒーは高級品でしたが、丸之内三共薬局内のソーダファウンテンではコーヒーを原価に等しい価格で提供しました。オリジナルコーヒーの香りも相まって大評判となり、昼時は席が空くのを立って待つ人も大勢いて、その盛況によって薬品の売上げも増加しました。
丸之内三共薬局の薬局側カウンター
テこのソーダファウンテンがある丸之内三共薬局の存在がより際立ったのは、同薬局開店の半年後となる1923年9月1日の関東大震災直後のことでした。多くの建物が倒壊したり、火災で焼失した中で、丸之内三共薬局のある丸ビルはその災厄を免れたため、薬を求める人々が殺到しました。勤務する薬剤師たちは、休む間もないほどの多忙な日々を半月ほど過ごし、震災後の町の人々を支えました。
大きな震災時にも人々に求められる薬を届け続けた三共。その情熱は、現在の第一三共へと受け継がれています。
クリスマスの飾り付けをした薬局と喫茶部
喫茶部の座席を見ると、かなり規模が大きかったことがわかります
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