ワシントンDCの中心部を流れるポトマック川岸の桜

アメリカと日本の春を今も彩る。創業者・高峰譲吉が両国の友情の証に贈ったポトマックの桜の物語

2023年03月29日
Our People & Culture
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アメリカの桜の名所を作った日本人

日本の春の象徴として親しまれる桜ですが、アメリカにも桜の名所はいくつかあります。その中のひとつが、首都ワシントンD.C.のポトマック川河畔の美しい桜並木です。春には「全米桜まつり」が開かれ、たくさんの人で賑わいます。

この桜は、今から約110年前に植えられました。その桜を贈ったのは、第一三共株式会社の前身のひとつ「三共株式会社」の初代社長、高峰譲吉です。 高峰は日本とアメリカで様々な事業を起こし、世界初のアドレナリン抽出に成功するなど医療にも貢献しましたが、晩年は「無冠の大使」と呼ばれるほど日米親善のために力を尽くしました。両国の友好のシンボルとして贈られたポトマック川の桜も、その活動のひとつです。

紀行作家 エリザ・R・シドモア

日米双方の想いが重なり、植樹の実現へ

この桜並木のはじまりは、紀行作家のエリザ・R・シドモアのアイデアでした。シドモアは、世界的に知られる写真誌「ナショナル・ジオグラフィック」を出版する会社の初の女性取締役となった人でもあります。

彼女は1877年頃に2度日本を訪れ、足かけ3年滞在。それ以降も横浜の米国領事館に勤める兄と会うために何度も来日する中、魅了されたのが桜の花でした。1885年にはアメリカにも桜を植えたいと思いつき、帰国後すぐにワシントンの当局に働きかけます。しかし、当時は誰も関心を持ちませんでした。それでもシドモアは、寄付を募っての資金集めなど、地道な活動を長く続けました。 状況が変わったのは、それから20年以上経った1909年。シドモアは、ポトマック河畔の整備計画と、大統領のファーストレディ、ヘレン・ヘロン・タフトがワシントンで後世に引き継げる何かを残したいと考えていることを知りました。そこで、シドモアは河畔に日本の桜を植えることを提案し、2人はすぐに共感したのです。

その時期にワシントンを訪れていた高峰は、2人のやりとりを知り、計画の倍にあたる苗木2,000本の寄付を申し出ました。また、在ニューヨーク水野幸吉総領事から、「両国の架け橋として、桜を東京市の名前で寄贈しては?」という提案を受けて快諾。東京の尾崎行雄市長の協力も得て、歴史的なプロジェクトを動かし始めました。

失敗にくじけず、粘り強く課題を解決

ところが、桜の輸送は簡単には行きませんでした。苗木は輸出されたものの、ワシントンの検疫で病害虫が見つかり、すべてが焼却処分となってしまったのです。 それでも高峰はあきらめず、再度寄付することを決意。2回目は害虫対策のため、専門家のサポートを受け、苗木の選定や育成、土壌の手入れも徹底して送り出します。1912年にワシントンに到着した桜は、「これほど完全な輸入植物をいまだかつて見たことがない」と、検疫官や検査官から称賛されるほどでした。これが、現在のポトマック川に咲き誇る桜の苗木です。

荒川堤防の桜並木

アメリカから戻ってきた桜の木

さらに、この桜の話には続きがあります。シドモアがかつて桜を眺めていた隅田堤から少し上流の荒川堤では、川の治水工事の影響や戦時中の薪としての使用などがあり、桜並木が失われてしまいました。しかし、戦後復興の過程で1956年、さらに1981年にも、ワシントンから東京への、桜の里帰り計画が実施されたのです。その苗木は、荒川の堤防や都内の公園などに植樹されました。シドモアたちの想いを受けて高峰が贈った桜の木々は今も美しい花を咲かせ、ワシントンと東京、金沢、横浜など、各地の街を彩っています。

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