当時の工場、ミュンヘンのフラウエン教会と、現在の第一三共ヨーロッパGmbH

10人の従業員から始まった、第一三共ヨーロッパの原点。ルイトポルド・ウエルク社New

2025年09月29日
Our History
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ドイツ・ミュンヘンのツィールシュタット通り(Zielstattstrasse)にある「第一三共ヨーロッパ GmbH」。

その原点は、1910年に設立された製薬会社「ルイトポルド・ウエルク(luitpold-werk)社」です。当初の場所からは移転してしまいましたが、現在の第一三共ヨーロッパと同じ通りにありました。

ロゴデザインの元となったミュンヘン・フラウエン教会と
当時のルイトポルド・ウエルク社のロゴ

消化酵素を中心とした医薬品を製造

創業当初、わずか10人でスタートした同社は、消化酵素を中心とした医薬品の製造で着実に成長。1928年にはミュンヘンに初の工場を構え、創業20年足らずで、製品はすでに欧州内のみならず世界50カ国以上に出荷、従業員数も100名を超えていました。

1940年代には従業員も300名以上となりましたが、戦時中で、原材料の入手が困難な上、輸出も制限されていました。さらに1943年にはミュンヘンが爆撃され、工場も破壊されてしまいます。

しかし戦争による困難にも屈せず、工場の破壊後も事業継続を模索し、各部門が10カ所の仮事務所や研究所に拠点を移しました。その結果、ミュンヘンから北に約60kmのプファッフェンホーフェン郡(Landkreis Pfaffenhofen)に現在のプファッフェンホーフェン工場の礎を築きました。

1950〜60年代には新たな生産施設を設立し、1960年代以降はブラジル、スペイン、スイス、イタリア、フランス、アメリカ、ポルトガル、イギリスへとグローバル展開を加速。フランスのアルザス地方に設立された施設は、当時最も近代的な製造拠点のひとつでした。

買収当時のルイトポルド・ウエルク社

ヨーロッパでの開発や販売に力を入れた三共の資本参加

そんなルイトポルド・ウエルク社に転機が訪れたのは1990年。第一三共の前身の一つ、三共株式会社が資本参加し、翌年には完全子会社化。これにより、三共は欧州10カ国以上に販売拠点を持つこととなり、グローバル展開の大きな一歩を踏み出しました。

買収当初は英語以外のドイツ語を中心とした欧州言語や文化の違いに苦労しながらも、三共の研究成果を欧州で展開するための体制づくりが進められました。1997年には「三共ファーマ」へ社名変更し、2005年9月の第一製薬株式会社と三共株式会社の持株会社である第一三共株式会社の設立を機に、2006年に「第一三共ヨーロッパ GmbH」が誕生しました。

ADC医薬品を含む医薬品を製造するプファッフェンホーフェン工場

ルイトポルド・ウエルク社の創業から100年以上経ち、第一三共ヨーロッパ誕生からも、2026年には20年を迎える現在、第一三共ヨーロッパは研究・開発・製造拠点を持ち、欧州18カ国で2,500人以上の社員が活躍する企業へと成長。

2024年にはプファッフェンホーフェン工場へのADC医薬品を含む製造施設拡張のため、10億ユーロの投資を発表し、ドイツ国内でも大きな話題となりました。

※ Antibody Drug Conjugate(抗体薬物複合体)の略。抗体にリンカーと呼ばれる部分を介して化学療法剤であるペイロードを結合したもの

タカヂアスターゼという消化酵素が設立当時の主要製品であった三共と同じく、消化酵素を主要製品として規模を拡大させていったドイツの小さな製薬会社の熱意は、第一三共へと受け継がれています。

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