1900年代前半の研究者の写真 1900年代前半の研究者の写真
現代の研究者の写真 現代の研究者の写真

日本発の革新的創薬を支える 「サイエンス&テクノロジー」 その深化と継承の軌跡

社会のニーズとともに進化してきた「創薬」。
19世紀末、日本では近代医学に基づく医薬品は
まだ主流ではなく、しかも輸入品頼りだった。
人々のために良薬を創り出し、広く世の中に届けたい。
そんな想いをもとに、サイエンスでイノベーションを生み出し、
テクノロジーでそれを形にするため挑戦を続けてきた、
人々の足跡と原動力をひもといていく。

1900年代 前半

「近代医学に基づく良薬を、国産で」イノベーション創出への挑戦 (アドレナリンの結晶化、オリザニンの発見、 梅毒治療薬の国産化など)

夏目漱石の小説「吾輩は猫である」に、登場人物・苦沙弥先生が胃腸薬を頻繁に飲むという描写がある。この薬の成分「タカヂアスターゼ」は、第一三共の前身の一つ・三共商店が開発していたものだった。
第一三共は、時代ごとのアンメットメディカルニーズに応えることを目指し、歩み続けてきた製薬会社だ。そのルーツは約120年前に遡る。

※アンメットメディカルニーズ=まだ有効な治療方法がない疾患に対する医療ニーズのこと

19世紀末の日本では、「生薬」から有効成分を取り出した薬剤が主流で、科学的裏付けを持った薬の多くは海外からの輸入頼りだった。そのため、第1次世界大戦が勃発すると輸入が途絶え、需要の高い薬は価格が暴騰し、人々は入手困難に陥った。

三共商店 薬品部の写真

三共商店 薬品部(南茅場町、明治35年)

19世紀末の日本では、「生薬」から有効成分を取り出した薬剤が主流で、科学的裏付けを持った薬の多くは海外からの輸入頼りだった。そのため、第1次世界大戦が勃発すると輸入が途絶え、需要の高い薬は価格が暴騰し、人々は入手困難に陥った。

高峰譲吉博士、鈴木梅太郎博士、慶松勝左衛門の写真

左から高峰譲吉博士、鈴木梅太郎博士、慶松勝左衛門

科学的に裏付けられた薬を、自分たちで創りたい。
患者さんのために、良質な薬を、広く世の中に届けたい。

そんな想いから、高峰譲吉博士(三共の初代社長)は、血圧上昇作用や強心作用などの様々な作用が発見されていたアドレナリンの結晶化に取り組んだ。
鈴木梅太郎博士(三共の学術顧問)は、当時の2大国民病である脚気への貢献を目指し、オリザニン(ビタミンB1)の発見に挑んだ。
さらに、慶松勝左衛門(第一三共の前身のひとつ・アーセミン商会の設立者)らは、海外からの輸入が途絶え、品不足となった梅毒治療薬の国産化を通じて、当時のアンメットメディカルニーズに応えようとした。

1900年代前半の工場の写真 1900年代前半の工場の写真

近代医学に基づく医薬品の普及や国産化への想いをもとに、
数々のイノベーションを創出した

1900年代 後半

変化する生活、進歩する医学・薬学 様々な領域の低分子創薬へ取り組む

時代が変化するにつれて、衛生環境や人々の生活様式も大きく変わっていった。第2次世界大戦終戦直後は、社会情勢の悪化や海外からの引き揚げなどにより、急性感染症が流行。その後、生活様式の変化に伴い、いわゆる“成人病”が日本人の死因上位を占めるようになった。

※成人病=現在は「生活習慣病」と呼称。がん、心疾患(心筋梗塞・狭心症など)、脳血管疾患(脳梗塞・くも膜下出血など)など、生活習慣が発症・進行に関与する疾患群のこと

1889年の給食のイラスト 1889年の給食のイラスト 1889年の給食のイラスト

1889(明治22)年の給食

1889年の給食のイラスト 1889年の給食のイラスト 1889年の給食のイラスト

昭和中期~後期の給食

出典:(独)日本スポーツ振興センター提供写真を加工して作成

予防や治療への取り組みが日本の保健医療の大きなテーマとなるとともに、高コレステロール血症・脳卒中や心筋梗塞にもつながる高血圧症などを治療する薬の研究開発が求められた。

第一三共は、変化するニーズに合わせ、様々な領域の低分子創薬に挑戦した。

2000年代 前半

多様な創薬モダリティ開発に着手 薬づくりの可能性広げる

医学・薬学の進歩や時代の変化とともに、創薬のモダリティが多様化。

※モダリティ=医薬品の創薬基盤技術の方法・手段のこと

第一三共は、従来の低分子創薬だけでなく、抗体やADC技術、核酸医薬といったバイオ医薬分野にも領域を拡大。多様なモダリティ開発に取り組むことで、薬づくりの可能性と多様性を広げていった。

抗体のイラスト

抗体

ADCのイラスト

ADC

低・中分子のイラスト

低・中分子

核酸医薬のイラスト

核酸医薬

医薬学の進歩や時代の変化にあわせ、モダリティを多様化。
薬づくりの可能性と多様性を広げた

2000年代 半ば

がん領域に注力 グローバル開発体制を拡充

日本人の2人に1人がかかるといわれ、世界でも症例数の増加が予測されている「がん」。

男性のイラスト

63.3%

男性のイラスト

男性

女性のイラスト

50.8%

女性のイラスト

女性

日本人が一生のうちに
がんと診断される確率

出典:国立研究開発法人国立がん研究センター「最新がん統計のまとめ」
グラフ グラフ グラフ グラフ グラフ

世界で新たにがんと診断される
人数の推移予測

出典:Cancer Tomorrow

第一三共はがんに強みを持つ先進的グローバル創薬企業を目指し、がん領域におけるグローバルな開発体制を大幅に拡充。現在は「ADC技術」に注力している。

良質な薬を届けたいという想いは、日本から世界へと広がっている。

ADC技術とは

ADC技術の図 ADC技術の図 ADC技術の図 ADC技術の図

ADCは、Antibody Drug Conjugate(抗体薬物複合体)の略。がん細胞に結合する「抗体」とがん細胞を攻撃する「薬物」、それらを結び付ける「リンカー」を結合する技術を「ADC技術」という。がん細胞に狙いを定めて薬物を届け、直接作用するという特長があり、抗体と薬物の組み合わせを変えることで、様々な疾患への応用が期待されている。

第一三共の創薬を支えるもの

第一三共の創薬を支えるもの、
それは強みである「サイエンス&テクノロジー」と、
創業以来受け継がれてきたR&Dカルチャーだ。

3つのR&Dカルチャー R&Dカルチャーの図 R&Dカルチャーの図 R&Dカルチャーの図 R&Dカルチャーの図
  • Craftspersonship

    120年余りに亘って
    受け継がれてきた、
    精緻な“もの作り”の精神

  • Learning from Success and Failure

    研究は挑戦の連続。仮説と検証を繰り返し、
    成功も失敗も学びに変える姿勢

  • Scientific Freedom

    組織の階層や年齢にとらわれず、
    研究者一人ひとりが
    自由闊達に議論を交わし、
    自ら研究テーマを提案できる組織風土

例えばADC技術の開発は、研究者が組織の垣根を越えて結成した数十名のチームからスタート。様々な専門分野の研究者たちが「良い薬を創りたい。患者さんに貢献したい」という共通の想いのもと、長年蓄積されてきた研究資産を活かしながら仮説と検証を繰り返し、緻密に技術のすり合わせを行っていった。

抗体と薬物、それをつなげるリンカーなど、複数の技術のコラボレーションが必要なADC技術の開発は、まさにR&Dカルチャーに支えられたものだったと言える。

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1900年代前半の研究者の写真

イノベーションを生み出すサイエンスと、イノベーションを形にし、患者さんに届けていくテクノロジー。第一三共は、「サイエンス&テクノロジー」を強みとして、世界中の患者さんへ貢献することを目指している。

現代の研究者の写真

その根底にあるのは、120年以上前から受け継がれ続けている「患者さんのために、良質な薬を広く世の中に届けたい」という想いだ。

世界中の人々へ希望を届けるために、第一三共はこれからも挑戦を続けていく。

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サイエンス。 それは、 希望。
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