クラビット®開発ストーリー
己との戦い、体制との戦い

激しい開発競争

抗菌活性の強さに体内動態の良さが備わったタリビッドや、経口で緑膿菌にも高い有効性を示すバイエル社のシプロフロキサシンが、ニューキノロン薬開発に火をつけることになりました。各社がこぞって活性の強さを売りにするニューキノロンの開発を手掛けていきます。このことは社内の危機感をあおることになりました。

早川:
「苦労してできたタリビッドに対して『そう簡単に他社に抜かれることはないだろう』と自信をもっていたのですが、どんどん他社が新しいニューキノロンの開発を発表していくのを見て、『このままだと、思った以上に早くタリビッドを抜く薬が世に出てくるのではないか。』という危機感が社内に強まりました。このことも「ポスト・タリビッド」の検討に拍車をかけたと思います。」

タリビッドでやり残したことを

左側が早川氏、右側が東邦大学医学部教授 山口氏 1991年米国化学療法学会(ICAAC)にて左側が早川氏、右側が東邦大学医学部教授 山口氏 1991年米国化学療法学会(ICAAC)にて

タリビッドは、ふたつの光学異性体(S体とR体)が一対になったラセミ体構造をしていることが知られていました。しかし、タリビッドの開発当時の技術では、その分割は極めて困難で、ラセミ体のままでも十分に効果のある化合物であると判断され製品化されました。タリビッドの開発が進むかたわら、タリビッド周辺化合物の詳細な構造活性相関を検討しましたが、タリビッドを越える化合物はありませんでした。また当時、S体とR体の活性は、ほぼ等しいと考えていたため、分割が難しいラセミ体構造をS体とR体に分割してまで物性を調べることについて、あまり重要視していませんでした。しかし、ラセミ体の光学分割がポスト・タリビッドの創製につながっていきます。

早川:
「タリビッドでやり残したこと、それは光学分割でした。しかし、当時はまだ光学分割はとても困難で、非常に苦労しました。実際に光学分割を行ってみると、活性本体はS体であり、意外にもR体はほとんど活性を示さないことがわかりました。」

安全性試験での挑戦

異例ではあったものの、ラセミ体のタリビッドと、タリビッドのS体、R体の3種で、マウスの静注での急性毒性試験を同時に行ってくれるように安全性研究所に依頼し、結果を待ちました。タリビッドはマウスの急性毒性試験で、中枢神経系の副作用症状を呈して死亡するので、S体とR体とで急性毒性の強さが異なれば、弱い方は中枢作用が弱いことが期待され、早川氏が懸念していたタリビッドの軽い不眠の副作用の低減につながると考えられます。

早川:
「結果は望んでいたとおりでした。安全性試験の担当者から『抗菌活性の強いもののほうが、毒性が弱いみたいだ』との連絡が入り、このときには非常に喜びました。S体は単体でタリビッドの2倍の抗菌活性があり、R体を切り離すことで気になっていたあの軽い不眠の副作用がほとんどなくなるかもしれないことがわかったのです。『S体単体で抗菌活性は2倍強くなり、必要のないR体を切り離せば安全性が高くなる。S体の開発をぜひ行わせてほしい!』と会社に訴えました。しかし、ここでも会社の方針とぶつかりました。会社の見解は『抗菌活性は2倍しか強くなっていないし、副作用も0になるわけじゃない』というもので、少し構造の異なる脂溶性の高い化合物についての評価を進めるよう方針を一時期出したのです。」

貫いた信念

クラビットの構造式

脂溶性が高まることによる中枢性の副作用の危険性を訴え続けましたが、『タリビッドと同じ構造のものをやるよりはいいだろう』と置換基の少し異なる脂溶性の高い化合物で探索を進めるべきだとする人達との間で、意見は並行線をたどり続けます。『このまま脂溶性の高い化合物で研究開発を進めるなら合成グループは降りる。』とまで訴え、ようやく光学分割されたS体による開発が進むことになりました。

早川:
「上司を含む考え方の異なる人達とは喧嘩状態でした(笑)。ただそのうち『早川がここまで言うなら、やってやってもいいんじゃないか』と言ってくれる人が出てきて、開発が進められるようになりました。ただ、開発側の出す要求について、できることはすべて応じねばなりませんでした。また、当時研究所は、一つの開発候補品の課題についてのすべての情報を一人のコーディネーターに集約させる『コーディネーター制』を取り始め、その第一号として私がクラビットのコーディネーターに指命されました。そして『クラビットについては、何でもわかるようにしておけ』とも言われました。そのおかげですが、合成担当である私が、臨床試験に入る前のあらゆる高次評価の情報を集めるために駆けずり回り、広い知識を身につける結果にもなりました。当時の開発所長に『今回はお前の好きにやっていい。何か問題があったら自分が責任をとる。』と言ってもらえたこともあり、自分の想いを貫くことができました。」